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著者の半生 ー 幼少期〜小学校前編

著者の半生 ー 幼少期〜小学校前編
カテゴリー: 生きづらさと回復
これは私の半生の記録です。産業カウンセラーの養成講座を修了し、自分の過去を言語化する作業を通じて、ようやく整理できるようになったことがあります。生きづらさはどこからくるのか。そのひとつの答えが、この時期にあります。読んでくださる方の何かに届けば幸いです。

市営住宅での生活——生まれてから小学5年の初めまで

私が生まれ育ったのは市営住宅でした。小学5年生のはじめに引っ越すまで、ずっとそこで暮らしていました。

家は決して豊かではありませんでした。「標準米」すら買えない家庭で、食卓に並ぶのはより安価なお米でした。子どものころは当たり前のことだと思っていましたが、大人になってから振り返ると、それが「普通ではなかった」と気づきました。物質的な豊かさだけが問題ではありませんでしたが、経済的な余裕のなさは、家庭全体の空気にじわじわと影響していたように思います。


父親という存在

父親は、とにかく短気な人間でした。

一緒にいるときは常に緊張していました。気配を消して、静かにしていることが身を守る術でした。父親から話しかけられると、それだけで体が固まりました。何をされるかわからない、という恐怖が常にありました。

今でも鮮明に覚えているシーンがあります。家族4人で外出するとき、父親が車のエンジンをかけた後のことです。私が車の後ろで楽しそうにしていたら、父親がいきなり私の頭をゲンコツで殴り、そのまま体をつかんで後部座席に投げ込みました。

40歳を超えた今も、なぜあのとき父親がそうしたのか、理由がわかりません。理由があったとしても、子どもに対してとっていい行為ではありません。父親はとにかく頭で考えるより先に拳が出る人間でした。

もうひとつ気づいていたことがあります。父親は兄にだけ関心を向けていました。私のことは、まるで視界に入っていないようでした。兄は特別で、私は存在が薄い。子どもながらにそれを肌で感じていました。父親にからかわれることもありました。暴力だけでなく、言葉でもバカにされる感覚がありました。


母親という存在——幼いヤングケアラー

母親は、いつも切なそうな顔をしていた人でした。

母は私によく、父親の悪口を話していました。職場の人への不満、親戚への愚痴——私は幼いながらも、その聞き役に徹していました。今になって思えば、これはいわゆる「ヤングケアラー」に近い状態だったのかもしれません。親の感情的な支えを子どもが担う構図です。この点については、また別の記事で詳しく書こうと思っています。

母を喜ばせたくて、ある日こんなことをしました。パートから帰ってくる母のために、飴玉をコップの水に溶かして、「ジュース」を作ろうとしたのです。でも、溶かしている途中でそのコップを布団にこぼしてしまいました。帰宅した母に「なにやってんの!」と激しく怒られました。

善意が、全部裏目に出た瞬間でした。

あのときの気持ちを今でもうまく言葉にできませんが、「喜ばせようとしたのに」という悲しさと、「何もしない方がよかった」という無力感が混ざっていたような気がします。


兄からのいじめ

2つ上の兄がいます。

私の一挙手一投足を、兄はからかい続けました。子ども同士のじゃれあいとは違う、明確なターゲットにされている感覚がありました。家の中で安全な場所がなかった、と表現するのが正確かもしれません。

父親も私をからかいました。家族の中で、私だけが笑われる側にいました。

4人家族の中で、私対3人、という感覚が幼いころからありました。誰かに責められているわけではないときでも、自分だけが違う、浮いている、という感覚が常にありました。そのころから「自分なんていない方がよい」という気持ちが、ぼんやりと頭の中にありました。


小学校の日々——家の外でどう生きたか

家の中がそういう場所だったせいか、小学生のころの私は言葉が少ない子どもでした。クラスの中でも存在を消しているような感覚があり、「自分はクラスの一員として数えられていないのではないか」と思い込んでいました。

でも、ありがたいことに友達づくりは得意な方でした。誰とでも割と仲良くできる子でした。今思えば、家庭での生きづらさを抱えたなりに、生き延びるための本能として無意識のうちに身につけたスキルだったのかもしれません。

放課後はよく友達の家でファミコンをしたり、チャンバラごっこ、落とし穴掘り、ヘビやトカゲを捕まえたり、サッカーをしたりして過ごしました。家の外にいるとき、私は確かに生き生きとしていました。子どもの頃の私にとって、「外」は息ができる場所でした。


1〜2年生——毎日頭痛がしていた

小学1年生から2年生の担任は、女性の先生でした。

非常に厳しく、時には暴力を振るう先生でした。2年間、私はほぼ毎日頭痛に悩まされていました。今から振り返ると、慢性的なストレスが身体症状として出ていたのだと思います。家でも学校でも、気の休まる場所がなかった時期でした。


3年生——はじめて「良い大人」に出会った

小学3年生でクラス替えがあり、担任の先生が変わりました。

当時おそらく30代の女性の先生で、私に優しくしてくれました。

その先生に出会って、私は初めて思いました。「こんなに良い大人が、この世の中にいるんだ」と。

ある日、私は先生に「左手に、先生のサインを書いてほしい」とお願いしました。先生は笑って、書いてくれました。私はその手を、しばらく洗いませんでした。消えてほしくなかったのだと思います。

その記憶は、40年近く経った今でも鮮明に残っています。

3年生・4年生と、その優しい雰囲気の中で過ごせたことは、今でも良い思い出です。1〜2年生の時とは明らかに違う、「学校にいていい」という感覚がありました。


投稿者の所感

幼少期のことを文章にするのは、思ったより体力が必要でした。

でも書いてみると、記憶の細部がまだこれほどはっきり残っていることに驚きます。飴玉を溶かしたコップ。父親の車のシーン。先生のサインが書かれた左手。これらは「体が覚えている記憶」なのだと、産業カウンセラーの学びを通じて理解できるようになりました。

生きづらさは、突然できあがるものではありません。幼いころの積み重ねが、長い時間をかけて人格や対人関係のパターンを形成していきます。私がいま「回復」の過程にあるのは、この時期の自分を見つめ直すことができるようになったからだと思っています。

次の記事では、小学校高学年から中学校にかけての時期を書こうと思っています。


参考書籍

同じような環境で育った方、あるいは身近な人の幼少期を理解したい方に向けて、参考になる書籍を紹介します。

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